President's Blog
社長ブログ

22 Jun. 2025

大隈重信公も座った椅子

こんにちは、デニムスーツinBlueの代表 松岡浩文です。

つい先日、早稲田大学の卒業生で構成される稲門会(倉敷支部)の役員会に参加してきました。
もちろん愛校心はそこそこあったものの、20代や30代半はまでは、大隈重信公の教えである「自主独立」の教えを勘違いしたのか、正直この類の集まりが苦手な上、あまり重要性を感じていませんでした。
(慶応大学の卒業生で構成される三田会の活動と比べても、稲門会の活動が活発ではないのは、卒業生の独立心に起因するのではないかとも思ったりしますが、実際どうなんでしょうか。。)

しかし、最近ではいわゆる「繋がり」というものが如何に大切かと思い知ることが多く、お誘いを受けることも多くなり近年では自分としては積極的に参加しています。

さて、今回は稲門会の倉敷支部の役員会に参加したのですが、会場は倉敷を代表する名家=原家で行われました。原家のロケーションは美観地区内にあり、ひときわ大きなお屋敷でペリー来航と時を同じくして建てられた歴史ある建物です。

さて、今回は稲門会の倉敷支部の役員会に参加したのですが、会場は倉敷を代表する名家=原家で行われました。原家のロケーションは美観地区内にあり、ひときわ大きなお屋敷でペリー来航と時を同じくして建てられた歴史的価値のある建物です。

原家住宅 (現在一般公開は行われておりません。)

1911年(明治44年)大隈重信公が、岡山、津山を回り、最終的には倉敷を訪問し、大原孫三郎の主催する「倉敷日曜講演」に参加されたことがありますが、その道中に原家に立ち寄り休憩されたそうです。その際に応接室で座って休んだとされる椅子が、こちら↓。

原家にある、大隈重信公が座ったとされる椅子

たまたま座っていたのですが、大隈公が座った椅子に自分が座っていたと思うと、さすがに興奮しました。(そのあと、役員の方々の代わるがわる、記念撮影を(笑))

手には、大隈重信公が登壇した「倉敷日曜講演」の様子を収めた写真

これだけでも歴史的な価値を秘めた貴重な資料だと思いますが、さらにはこんな書まで。

後藤新平の『心清虚』の書

岩手県奥州市出身の医師で、満鉄初代総裁、第2・3次桂太郎内閣では逓信大臣、寺内内閣では内務大臣を務め、1920年には東京市長も務めた後藤新平の書もありました。歴史の教科書でも勉強した人物、正直震えました。

『心清虚(しゅせいきょ)』とは、心が清らかで、汚れなどがまったくないことを守るという意味。医師であり政治家である後藤新平らしい書です。

倉敷という町は、いまでこそデニムの街として全国に名を知られる街になりましたが、実は大原孫三郎や原澄治といった倉敷の現在の礎を築いた方々の活躍が随所に見られる歴史ある街です。

倉敷に住むようになり、こういった街の歴史や、成り立ちなどに非常に興味の出てきたこの頃。少しずつこのブログでもシェアしていければと考えています。(別に、これは歴史ブログではないのですが、倉敷の魅力や歴史の厚みを紹介することは、この地で商売をしていく上で、ちょっとした使命感なるものも感じているのも事実ですので。)


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